【お題】あなたは肉派?魚派?
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【お題】あなたは肉派?魚派?

「あなたは肉派?魚派?」

この問い、今までの人生で何度投げかけられ、その度に何度自問自答してきたことでしょう。飲み会での会話のきっかけ、自己紹介の一コマ、はたまた夕食の献立を決める際の家族会議。様々なシチュエーションで登場する、この永遠とも思えるテーマ。

かくいう私ですが、以前の私にこの質問を投げかけられたとしたら、おそらく間髪入れずにこう答えていたはずです。「断然、肉派です!」と。

ジューシーなステーキ、香ばしい焼肉、手軽に調理できる鶏肉料理…。考えるだけで喉が鳴り、白いご飯が恋しくなるような、抗いがたい魅力が肉にはありました。もちろん、魚が嫌いだったわけではありません。むしろ、焼き魚や煮魚の繊細な味わい、刺身の舌の上でとろけるような食感は、魅力的だと感じていました。

しかし、一点だけ、どうしても乗り越えられない、あるいは乗り越えるのが億劫に感じる壁があったのです。そう、それは「骨」の存在です。

特に焼き魚や煮魚の場合、身をほぐしながら小骨を丁寧に取り除いていく作業。これがどうにも苦手でした。せっかく美味しい魚を目の前にしているのに、骨との格闘に神経をすり減らし、気づけば魚は冷め、楽しみも半減…なんてことも一度や二度ではありません。小骨が喉に引っかかったときの、あの何とも言えない不快感を想像するだけで、ついつい魚料理を敬遠しがちになっていたのです。

今だから正直に告白しますが、この「魚の骨を煩わしく感じる」という感覚は、私の長年のコンプレックスと深く結びついていました。それは何かと言うと、「箸の持ち方」です。

思い出すだけで顔から火が出そうになるのですが、私は高校生になるくらいまで、かなり我流の、お世辞にも綺麗とは言えない箸の持ち方をしていました。周囲に指摘されることもありましたが、長年の癖というのは恐ろしいもので、なかなか矯正できずにいました。

当然、そんな持ち方では、魚の身を美しくほぐしたり、小さな骨を器用に取り除いたりするなんて高等技術は望むべくもありません。無理に骨を取ろうとすれば身が崩れ、かといって気にせず食べれば骨が口に残る。このジレンマが、私を魚料理から遠ざけていた大きな原因の一つだったのです。「魚=骨が面倒くさい」という短絡的な思考停止に陥っていたと言っても過言ではありません。当時の私にとって、骨が少なく食べやすい魚といえば、せいぜい鮭の切り身くらいだったかもしれません。

そんな私が、最近になって魚の魅力に再び、いや、以前にも増して開眼する出来事がありました。そのきっかけを与えてくれたのは、何を隠そう、弊社の社長なのです。

社長は釣りが大変お好きで、週末になるとよく海へ出かけられています。そして、その釣果の中から、時折私たち社員にもおすそ分けしてくださるのです。これがもう、本当に絶品で…。スーパーの鮮魚コーナーに並ぶ魚とは、鮮度も、身の締まりも、そしておそらくは愛情のかけ方(?)も全く異なります。

そして何より、その圧倒的な美味しさが、「骨を取る手間」を遥かに上回るのです。新鮮な魚は、シンプルな塩焼きだけでも、煮付けにしても、もちろんお刺身にしても、言葉を失うほどの感動を与えてくれます。社長が丹精込めて釣り上げた魚だと思うと、そのありがたみもひとしおです。

先日いただいたイサキなど、塩焼きにしていただきましたが、ふっくらとした白身の上品な甘みと、皮目の香ばしさのコントラストが絶妙で、思わず唸ってしまいました。丁寧に骨を取り除き、最後の一口まで味わい尽くしたときの満足感は、以前の私には想像もできなかった境地です。

不思議なもので、美味しい魚を食べる機会が増えるにつれ、あれほど億劫だった骨を取る作業も、以前ほど苦にならなくなってきました。もちろん、長年の間に箸の持ち方も多少は(本当に多少ですが…)改善されたというのもあるかもしれません。

さて、冒頭の「あなたは肉派?魚派?」という質問。
今の私なら、こう答えるかもしれません。

「どちらもそれぞれの魅力があって大好きです。でも最近は、本当に美味しい魚との出会いに恵まれていて、魚の奥深い魅力にどっぷりとハマっています!」と。

もちろん、肉料理の持つパワフルな魅力も依然として大好きです。しかし、魚の種類による味の違い、旬の味わい、調理法による変化…。知れば知るほど、魚の世界は面白く、そして美味しい。

最後に、もし同じように「魚は好きだけど骨がね…」と感じている方がいらっしゃったら、ぜひ一度、本当に新鮮で美味しい魚を味わってみてほしいと思います。きっと、新たな食の喜びが見つかるはずですから。

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